心の話

2006年04月16日

独立すると比較的安定するというお話

環境から独立する意味についての文章を人間性の心理学」から紹介します。

この部分に、自分が何故経済自由人を目指すのかと言う事の答えのひとつがあります。それが独立であり、安定です。
サラリーマンが実際は安定していないと考える自分は、紹介する文章のように生きたいと思うのです。

以下抜粋
自律性−文化と環境からの独立、意志、能動的人間

環境から独立しているということは、激しい打撃や衝撃、剥奪や欲求不満、その他これに顕するものに直面しても比較的安定していられることを意味する。

これらの人々は、他の人々なら自殺しかねないような状況の最中におかれても比較的穏やかでいられる。彼らは、これまで「自己抑制的」という言葉でも表現されてきたのである。

欠乏に動機つけられている人々は、他の人がだれか自分に尽くしてくれないと困るのである。というのは、彼らの欲求の主なもの(愛、安全、尊敬、名声、所属)は、他の人間によってのみ満たされるからである。

しかし、成長によって動機づけられている人々には、実際には他人は欲求充足の妨げとなっているのかもしれない。彼らにとって、満足やよき生活を規定するものは、いまや内なる個人であって、社会的なものではないのである。

彼らは非常に強いので、他の人々のよい意見や愛情によってさえも影響を受けない。他の人々の与えてくれる名誉、地位、報酬、人気、名声、愛は彼らにとって自己発展や内的成長ほど重要ではなくなっている。

愛や尊敬から独立を保つというところまでに到る最善の手法として、我々が知っているものは、それが唯一ではないにしてもまさにこの愛や尊敬を過去に十分に与えられた事である点を指摘しなければならない。 抜粋終

日々是学也
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2006年04月14日

普段の「決定」がどんなに病的で異常で優柔不断であるか

投資にも関連する話で、普段行っている「決定」が以下に自己実現者と一般の人が異なっているかと言う話を「人間性の心理学」から紹介します。

普段の「決定」がどんなに病的で異常で優柔不断であるか、また本当の自由の意思とはどういったものなのかを考えさせられる文章です。

以下抜粋
非常に多くの人は、自分で決心しないで、セールスマンや広告、両親、布教師、テレビ、新聞などに決定してもらっているが、私は、このことを人間らしく正常なことであると思っていた。しかし、自己実現者たちは、私に、このことがどんなに病的で異常で優柔不断であるかを教えてくれた。

ほとんどの人は、自分の意志で動いたり、自分で決定する人間、というよりも他者から動かされる手先であると言える。それ故に、彼らは力がなく、弱々しく、総合的に見ると、他者から決定されてしまうと感じがちである。彼らは略奪者のえじきであり、自己決定力をもつ責任のある人間というよりは軟弱なぐちこぼしであるのである。この責任のなさが、自己選択的政治・経済に対してもつ意味は、もちろん明らかである。

それは破滅的ということである。民主的な自己選択の社会には、自分で決心し、自由に行動し、自由な意志をもつ、自己を動かす人や自己決定者、自己選択者がいなければならない。アッシュやマクレランドの広範囲な実験からは、自己決定者は環境により異なるが、人口の約五%から三〇%程度であろうと推測できる。私の自己実現している被験者はと言えば、一〇〇%が自己を動かす人間である。

 結局、私は、たとえ多くの神学者や哲学者、科学者にとってどんなに妨害的なことであろうが、以下のように言明しなくてはならない。

すなわち、自己実現者は平均的な人間よりもはるかに「自由な意志」をもち、またはるかに「決定されて」はいない。「自由な意志」や「決定論」という言葉は、どんなに操作的に定義されたものであっても、この研究ではそれらは経験的な現実である。抜粋終
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2006年04月13日

自己実現者は孤独に強く、あまり人を必要としない

自己実現者は孤独に強く、あまり人を必要としないと言う話を「人間性の心理学」から紹介します。

冷たさ、愛情の欠落、友情のなさ、敵意があると自己実現者は誤解されると言うくだりに考えさせられます。

以下抜粋
私の被験者たちは平均的な人々よりも、(あらゆる意味で)より客観的であるといえる。我々はこれまでに、彼らが自己中心的というより課題中心的であることを見てきた。これは、問題が彼ら自身のこと、彼ら自身の願望、動槙、希望、あるいは熱望にかかわる場合でさえも真実なのである。

したがって、彼らは普通の人には考えられないはどの集中力がある。極度の集中はその副産物として、外部環境のことを忘れたり、ぼんやりしたりできる能力とも言える放心というような現象をもたらす。たとえば、何か問題や心配事を背負いこんだり、重大な責任を負っているときでも熟睡でき、食欲を乱されず、笑いを保つ事ができる。

多くの人々との社会生括において、超越性はある種の面倒や問題を引き起こすことがある。それは、「正常な」人々が簡単に、冷たさ、俗物主義、愛情の欠落、友情のなさ、さらには敵意とさえ解釈してしまうものである。これと対照的なのであるが、普通の友情は、もっとねちねちとした要求的なものであり、安心や賛辞、支持や暖かさ、排他性といったものを得たいと願うものなのである。

自己実現者が普通の意味での他者を必要としないというのは真実である。しかし、他者から必要とされたり、いなくてさびしいと思われたりすることが普通の友情の真剣な願いであるかぎり、超越性が平均的な人々にはたやすく受け入れられないことは明らかである。 抜粋終
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2006年04月11日

自己実現的人間は孤独やプライバシーを好む

人間性の心理学」から昨日の続きで自己実現的人間とそうでない人々との差をさらに具体的に検証した文章を紹介します。

以下抜粋
超越性−プライバシーの欲求

我々の被験者(自己実現的人間)すべてに言えることであるが、彼らは独りでいても、傷ついたり不安になることはない。さらに、この人々のほとんどが、平均的な人々よりもはるかに孤独やプライバシーを好むということも事実である。

彼らは争いごとに超然としていられる。また、他の人の場合には騒ぎとなるようなことにも立腹せず、心を乱さずにいられる。彼らにとっては、他の人たちから離れて遠慮がちに、また身を静かに保ち、穏やかでいることはたやすいことなのである。

このように、彼らは普通の人々のように個人的不達に激しく反応したりせずにそれを受け止めることができるようになる。彼らはとるに足りない環境や状況においてさえも、自分たちの威厳を保つことができるようである。

おそらく、これは、何か事が起きても、その問題を他の人が感じたり考えたりすることに左右されずに、自分自身の解釈を固守するという傾向に部分的には依るものである。この身の処し方は、耐乏生活を送る時や人里離れて住む場合にも同様な現れ方をする。 抜粋終

ディーリングの仕事は孤独なので、この辺の部分もリンクする部分がある気がします
目指せ、成功したディーラー兼自己実現的人間!
日々是学也
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2006年04月10日

自己実現的人間とそうでない人々との差

人間性の心理学」から自己実現的人間とそうでない人々との差に関する文章を紹介します。個人的にはこの本の最重要ポイントだと思ってます。

以下抜粋
究極的に自己実現的人間とそうでない人々との間の最も深遠な差異を導き出したのは、このような発見であった。最も深遠な差異とはすなわち、

自己実現的人間の動機づけられた生活は、普通の人々のそれとは量的のみならず質的にも異なっている

ということである。我々は自己実現者のためには、普通のとはまったく異なる動機づけの心理学、たとえば欠乏動機に関するものというよりむしろメタ動機、成長動機に関する心理学を構築しなければならないように思える。おそらく、生きていることと「生きる準備をしている」こととを区別することは有用なことであろう。

おそらく、動機づけという概念は非自己実現者にのみ適用されるべきであろう。

我々の被験者(自己実現的人間)は、もはや普通の意味での努力をしているのではなくて、むしろ発展しているのである。彼らは完全を目ざして成長しようとしているのであり、自分自身のやり方でよりいっそう完全に発展しようとしている。
普通の人の場合、動機づけとは自分たちに欠けている基本的欲求を満足させるために努力をすることである。しかし、自己実現的人間の場合には、実際のところ基本的欲求の満足についてはなんら欠けるところはないのだが、それでもなおかつ彼らには衝動があるのである。抜粋終

自己実現的人間と普通の人々では価値観の基本が、発想のベースがそもそも違うと言う事実。

ここで浮ぶのが成功本を読んでも普通の人が成功しない理由。というのも、成功者の多くはおそらく無意識、意識的に自己実現的アプローチで思考し、行動している。そして、それをTVや著書などで表している。

ところがそれを成功者の本来伝えたかった事と全く逆に受け取っているという話を良く耳にする。

具体例を挙げると、「頑張らなくていい」という言葉を成功者が上げたことで努力をやめる読者がいた。しかし本来伝えたかったのは、過剰な頑張りではなく、当たり前のことをすることが大事だという意味だったりする。
自己実現的人間の言葉を真に理解するという難しいがどういう理由からその衝動があるのか考える事はそのひとつの解決策なのではないかと考えたりする今日この頃です。
日々是学也
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2006年04月08日

アメリカ人の高い破壊性・攻撃性について

人間性の心理学」から文化と人間の破壊性や攻撃性に関する文章を紹介します

以下抜粋

破壊性や攻撃性がどの程度存在するかはほぼ文化によって決定されるという基本的な事実を確認した。
(中略)
 人は、明らかにアメリカ社会の平均的な人々と同じように、攻撃的になったり、破壊的になったりするには及ばない。人類学的に見て、人間に破壊性、悪意、残忍さなどが生じるのは、おそらくその大部分が、人間の基本的欲求を妨げられたり脅かされたりしたことに対する結果としての二次的、反応的なものであると思われる。 抜粋終

抜粋では紹介していませんが、ネイティブアメリカンや南米の少数民族の破壊性・攻撃性は西洋人より圧倒的に少ないと言う事例が紹介されています。

平凡な結論ですが、世界のグローバル化という名のアメリカ化は、基本的欲求の充足を満たさせない方向に進めているのではないかと。そして、人類学的に見て、人間に破壊性、悪意、残忍さなどをより増大させてしまう気がします。
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2006年04月07日

人が心を病ますシンプルな一つの理由

人間性の心理学」から人が心を病ます理由についてのシンプルな文章を紹介します

以下抜粋

病理的反応は、有機体が解決できないあるいは対処できない課題や状況に直面した時、しかもそれが
どうしても解決したいあるいは解決しなければならないものである時に生じるものである。 抜粋終

心療内科のHP作成を通じて、いくつかの心の病について少し学びましたが根っこの部分に今回紹介した文章があると思います。
日々是学也
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2006年04月06日

自己実現して生きている人の愛の定義他二編

人間性の心理学」から人間の基礎的欲求とそれが満たされた後の高度な欲求についての文章を紹介しています

以下抜粋
これは選択または優先の順序である。しかしまた同時に、いろいろな意味で、この章で取り上げる低次のものから高次のものへの序列でもある。

一四 高次の欲求を探求し満たすことは、より大きな、より強い、より真実の個性につながる。
このことは、高次の欲求レベルで生きることがより多く愛の同一視をする、すなわち、より社会化することであるとする前述したことと矛盾するように見えるかもしれない。

しかしどんなに論理的にはそうであっても、それにもかかわらず経験的には真実なのである。自己実現のレベルで生きている人々は、実際に、人類を最も愛する人であると同時に、また、個人的特性を最も発達させた人でもある。このことは、フロムの、自己愛(あるいは自尊心)は他者に対する愛と括抗するものではなく共働するものであるという説を完全に支持している。

一五 欲求のレベルが高くなる程、容易にまたより効果的に心理療法がなされうる。欲求の最も低いレベルでは、心理療法はほとんど役立たない。飢えは心理療法では治らないのである。

一六 低次の欲求は、高次の欲求よりはるかに部分的で、明確で、より限定されている。飢えや渇きは、愛よりも明らかに身体的であるし、愛は承認よりも身体的なものである。また、低次の欲求を満足させるものは、高次の欲求を満足させるものよりも実体的で観察しやすいものでもある。
さらに、その欲求を鎮静させるのに満足させるものの量が少なくてすむという意味で、より限定されたものである。飢えならそれだけ食物を食べればすむが、愛、承認、認知的欲求になると、ほとんど限りないものである。抜粋終

自己実現は自己愛と他者愛を共働するものであるという認識
高次の欲求を満足させることは、低次の欲求と比べて曖昧で、量も不定だということ

この二つがポイントなのではないでしょうか?
日々是学也
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2006年04月05日

欲求レベルが高次なほど周囲も幸せにするもんだ

人間性の心理学」から人間の基礎的欲求とそれが満たされた後の高度な欲求についての文章を紹介しています

以下抜粋
これは選択または優先の順序である。しかしまた同時に、いろいろな意味で、この章で取り上げる低次のものから高次のものへの序列でもある。

一〇 高次の欲求と低次の欲求を共に満たした人は、通常、低次の欲求よりも高次の欲求に大きな価値を認める。そのような人々は、より高次の満足を求めて多くを犠牲にし、低次の欲求の剥奪に耐えることもできる。
たとえば、彼らは容易に禁欲生活ができ、主義のためには危険に耐え、自己実現のためにはお金や名声を捨てるであろう。彼らは、空腹を満たすことよりも、自尊心の方により高いより価値ある本質的経験を認める。

一一 欲求レベルが高次なほど、愛の同一視の範囲は広くなる。すなわち、愛の同一視対象の数は増大し、またその程度も強固になる。愛の同一視とは、二人以上の人が欲求の優勢さにより形成したヒエラルキーのどこかで結合することである。
互いに愛し合う二人、自分の欲求と分け隔てなく互いに相手の欲求に反応しあう。相手の欲求は自分自身の欲求なのである。

一二 高次の欲求を探求し満足することは、社会的にも好ましい結果をもたらす。ある程度、欲求が高次である程、利己性が減少するはずである。飢えは極めて自己中心的なものである。満たして満足するのは自分だけである。
ところが、愛や承認の探求は必然的に他者もかかわってくる。さらに他の人々の満足の問題も加わってくるのである。基本的欲求を十分に満たし愛や承認を(食物や安全ではなく)求める人は、忠誠心、友情、市民意識などの資質を発達させ、良い親、夫、教師、公務員などになる傾向がある。

一三 高次の欲求の満足は、低次の欲求の満足より自己実現に近い。自己実現の理論が受け入れられるなら、この差異は重要である。とりわけ、自己実現的人々に見られる資質の多くが、高次の欲求レベルで生きている人々にも相当見られるであろうということがいえる。抜粋終

簡単に要約すると
10 高次な欲求に生きると、食う寝る遊ぶという三大欲求の地位が低下する ⇒ 今まで悩んでた事で悩まなくなる
11 高次な欲求に生きると愛という価値観の範囲が拡がる ⇒ やっぱり今まで悩んでた事で悩まなくなる
12 高次な欲求に生きると、必然的に多くの人の幸せを願うようになる ⇒ 幸せを感じる範囲が拡がるので今まで悩んでた事が悩みでなくなる
13 高次な欲求に生きるとは、自己実現である

みたいなところなんだろうか?すいません、あまり自信がないですが…
衣食足りて礼を知るという、ある程度満たされないと高次な欲求が出てこないってのは事実なんだと思います。

ただ一度、満たされると欲求が高まって、自分だけでなく周囲の幸せを願うようになるという件に共感と安心を覚える今日この頃です。
日々是学也
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2006年04月03日

精神的に満足を得ている人は

人間性の心理学」から人間の基礎的欲求とそれが満たされた後の高度な欲求についての文章を紹介しています

以下抜粋
これは選択または優先の順序である。しかしまた同時に、いろいろな意味で、この章で取り上げる低次のものから高次のものへの序列でもある。

七 高次の欲求を探求し満足することは、一般的に健康への方向をたどり、精神病理から遠ざかることを表わす。

八 高次の欲求は多くの必須条件をもつ。高次の欲求が現れる前に、より優勢な欲求が満足されなければならないということからでもそうである。さらに愛の欲求が意識に現れるためには、安全の欲求の場合よりも多くの満足が必要とされる。
一般的に、人生は高次の欲求レベルでは複雑なものといえるかもしれない。承認や地位の欲求は、愛の欲求よりもより多くの人々、より多くの場面、より長時間、より多くの方法や部分的目標、より多くの下位の予備的段階を必要とする。同じことが愛の欲求を安全の欲求と比較した時にも言えるであろう。

九 高次の欲求を実現するには、より良い外的条件が必要である。人々が、単に互いに殺し合いをしないでいるという状態だけではなく、互いに愛し合うようになるには、より良い環境条件(家族、経済、政治、教育など)が必要である。さらに自己実現を可能にするには、非常に良い条件が必要である。抜粋終

平易に書くと
精神的に満足を得ている人は心身が共に健康だという話(あくまで一般的に)
高次の欲求を満たすには、いくつかの発動条件を同時に満たさなくてはいけない、ある意味H×Hの念能力みたいなものだという話
外的条件=満たされた人生を実現するためには環境も影響が大きいという身も蓋もない話(笑)

という話だと理解。でも実際はもう少し深い気がする。まだまだ修行不足です
日々是学也
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